中谷家の歴史

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天領庄屋中谷家のお屋敷

中谷家と黒川村

江戸時代、能登には天領(幕府領)が62ヶ村ありましたが黒川もその一村でした。その黒川で応分の司法権・行政権を持つ天領庄屋を代々勤めてきたのが中谷家です。

 

同家の古い先祖は不明ですが、寛文年間(1661~72)

に能登奥郡小代官城四郎兵衛の四男倉蔵松なる者が養子に入ってから家運が盛り上がっています。その後も中谷家は新助常清→新助兼清→新助兼恒→亮太郎兼喜→省三郎兼忠→兼晋→恒夫→和夫と続き、現在当主直之に及んでいます。この間、亮太郎の代には取次役(大庄屋)を中谷家は命ぜられました。

 

天保年間の記録によると黒川村は田畑屋敷139石余、新田36石余を数える農村でしたが、中谷家は山林数百町歩、田畑89石余を持高とする豪農でした。黒川村にはこの庄屋たる中谷家の補佐役として組頭、惣百姓代がいましたが、安政年間の記録では同村には百姓39件、水飲11軒があり、人口は男子169人、女子130人を数えていました。 


天領庄屋中谷家の平面図

中谷家の屋敷

「能登名跡志」黒川村の頃に「新助とて公領の庄屋あり。よき百姓なり。」とある中谷家は、塀と石垣に囲まれ、裏庭を含めると4000坪余りの屋敷です。


主な建物は母屋、土蔵、離れ、奉公人部屋、湯殿兼便所、馬屋の六棟で、作庭から入った母屋は、入口の間、仏間、座敷、奥座敷、納戸、台所、茶の間など広大なもので回り廊下で一巡でき、奥座敷の濡れ縁からは庭園を眺めることができます。建築物のなかでは塗蔵が圧巻です。


天領庄屋中谷家の蔵

総輪島塗の蔵

この輪島塗の土蔵は約200年前に建てられ、土地の人に「からすのとまらない宝蔵がある。」と、なかば伝説的に言い伝えられてきたものであり、塀には家紋、入口の石段に昇り龍と松・竹・梅が配されています。


また内部の天井、床、壁板、階段など、ほとんどが朱と黒2色の輪島塗のぜいをつくしたもので、鈍い光沢は神秘感を与えてくれます。


主屋

座敷

奥座敷

囲炉裏部屋

仏間

式台(玄関)

離れ座敷

土間



現当主(第12代) 中谷直之

 

「庄屋は江戸時代から地域の中心であった。歴史ある建物を維持していくだけでなく、地域コミュニティーの中核として、地域の人が集まり活用する場所として、都会の人との交流や発信の拠点として活用していきたい。」